Bio-Station

Bio-Stationは日々進歩する生命科学に関する知見を、整理、発信する生物系ポータルサイト、を目指します。

柳に雪折れなし? 成体の神経幹細胞における転写後制御

拙ブログでも何度か紹介しているように、
次世代シーケンサーの登場によって、多くの細胞種でRNAseqが行われ、
それらの細胞の遺伝子発現が網羅的に調べられてきている。
 
その勢いや猪のごとく(猪年だけに?)、
三大紙でもRNAseqを見ない週はない勢いである。
 
ところがRNAseqを進めるうちに、
最近、研究者たちは不思議なことに気が付き始めた。
 
いくつかの細胞種では、
その細胞では発現すべきではない遺伝子のmRNA発現がみられるのだ。
 
 
例えば、胎生期の神経幹細胞では、
発現するとニューロンに分化してしまうBrn2(ブレイン2)のmRNAが発現している。
 
これは、未分化な状態を維持しておきたい幹細胞にとってはまずいことである。
(ただし実際のところは幹細胞は、このBrn2 mRNAの翻訳を抑えているらしい(Zahr et al., Neuron, 2018とか)。)
 
ともかく、このように、
遺伝子発現をみても必ずしもそれはタンパク質量とカップルしない
ことが分かりつつある。
 
-----
 
このようなことから、どのような遺伝子がどの程度タンパク質量とカップルして、
どのような遺伝子はタンパク質量とカップルしないか?というのが研究者の大きな疑問であった。
 
そこで今回紹介する論文では、成体における神経幹細胞の分化をモデルにして
RNA量とタンパク質量を網羅的に検証し、mTORが翻訳量ひいては細胞運命の制御に重要であることを見出した
 
 
Anaのグループは成体の神経幹細胞のシングルセルRNAseqを先駆けて行ったグループ。
(この成体神経幹細胞のシングルセルは大変competitive。
知っているだけでも他3グループが同じことをやって論文にしている)
ちなみに神経幹細胞の大御所にはAnneさんもいて紛らわしいので注意。
 
------
 
成体神経幹細胞は非常に重要な細胞である。
なぜなら、大人になっても新しい神経細胞を生みだす数少ない供給源となっているためだ。
 
大人になっても神経細胞を生むことは学習や本能行動に重要であることがマウスの研究で明らかになっている。
 
この成体神経幹細胞が存在するのは二か所、海馬と、脳室下体である。
今回筆者らは脳室下体における神経新生に着目している。
 
脳室下体の神経幹細胞は、ニューロンへ分化する際に
静止型神経幹細胞→活性型神経幹細胞→早期ニューロブラスト→後期ニューロブラスト→ニューロン
と順々にその状態を変化させていく。
 
-----
 
筆者らは始めに、それぞれの分化段階でのタンパク質翻訳レベルを検証した(OPP uptakeという系)。
 
すると、面白いことに、
静止型神経幹細胞から活性型神経幹細胞になる際に翻訳量全体が増加し、
早期ニューロブラストになる際に翻訳量全体が減少することが分かった。
 
すなわち、神経幹細胞は分化に伴って翻訳量を制御していることが分かった。
 
 
そこで次は、どのような遺伝子のRNAが翻訳による制御を受けているか気になるだろう。
 
筆者らはRibo-Tagマウスを用いて、分化段階ごとに翻訳量を検証した。
 
Ribo-Tagマウスはリボソームにタグがついていて、
タグで免疫沈降することでリボソームのついていたRNA(翻訳中のRNA)を同定することができる。
(ちなみに分化段階ごとにin vivoの細胞でRibo-Tagした例もほとんどないので新しい)
 
この結果から、神経幹細胞では比較的RNA量と翻訳量は比例するが、
分化し始めるとRNA量とタンパク量が比例しないものが出てくる
すなわち、分化し始めると転写後の制御がみられるようになると主張している。
 
(ということで彼らは神経幹細胞ではpost-transciptionalな制御はあんまりないといっている。
ただし、他の論文Yoon et al, Cell, 2018とか先のZahr et al, Neuron, 2018は神経幹細胞でpost-transcriptionalな制御あるといっている。
胎生期と成体で違うということかもしれないし、相対的に分化しかけた方が転写後制御が大きいのかもしれない)
 
-----
 
で、肝心のどのような因子が転写後の制御を受けるかだが、
一つはSox2という幹細胞性の維持にとても大事な因子が挙げられるといっている。
 
Sox2は分化しても割とRNAは残っているが、翻訳は落ちている。
つまり、転写後の制御によって翻訳が抑制されていることが分かった。
 
 
次に、翻訳量がRNA量に比べて低い遺伝子についてみてみると、
5'UTRにmTORの標的となる特徴的な配列があることが分かった。
 
mTORは翻訳量を制御する重要な因子であることが知られている。
 
そこで、
筆者らはmTORが翻訳量を制御することで細胞運命を制御している可能性を考えた。
 
端折ってしまうが、筆者らはmTORを活性化、あるいは抑制することで、
成体神経幹細胞と早期ニューロブラストの運命を行き来させることができることを示している。
 
*ただしこの実験はmTORが大事であることは主張できるが、
翻訳が本当に大事だったのかは主張できない。
翻訳だけを制御するのも難しいので仕方がないことではあるが。
 
------
 
以上の結果から、
 
"転写→翻訳→タンパク質→細胞運命"という「固い」メカニズムというよりは
転写も制御するけど、翻訳量も制御することで細胞運命を制御するという
「緩い」メカニズム
生体は恒常性を維持している一例が見いだされた。
 
部分部分はしなやかに作っておいた方が、全体としてはロバストなんだろう。
(タイトルはそういうわけで"柳に雪折れなし"という...)
 
神経幹細胞に限らず、発現量と同じくらい翻訳量を検証するのも大事になってくる。
幸い、近年はRibo-Tagが結構広まっているので、今後も似たような研究が続いてくれるのではないか。
 
あとは、発現だけをみても分からない生命現象もあるよというのも大きな教訓。自戒を込めて。
 
------
参考
Onset of differentiation is post-transcriptionally controlled in adult neural stem cells, Nature, 2019