ノックアウトとノックダウンの表現型が違うのは?_2
前回の記事で、ある遺伝子をノックアウトした時にその遺伝子に似た機能を持つ遺伝子の発現が上昇する"コンペンセーション"のメカニズムについてまとめた。
まとめると前回紹介したところまでで、
ノックアウトで似た遺伝子の発現が上がるのは
ノックアウトによる変異型RNAが似た遺伝子の発現を制御するから、
という可能性が示唆された。
-------
では、RNA分解からどのように遺伝子発現制御に結びつくのだろうか。
エピジェネ因子と相互作用することが報告されてきた。
そこで、
筆者らはエピジェネ因子がコンペンセーションに関わるのではないかと考えて、
siRNAスクリーニングを行った。
その結果、いくつかのエピジェネ因子をノックダウンするとコンペンセーションが起きなくなることが分かった。
この中でも、WDR5という因子のノックダウンで最も強い影響がみられた。
WDR5はCOMPASS複合体というやつの構成因子の一つである。
COMPASSはヒストンH3のK4にメチル化(H3K4me3)を入れることで遺伝子発現を上昇させる、と考えられている。
このため、
ナンセンス変異RNAはH3K4me3を介して遺伝子発現を制御する可能性が示唆された。
-----
では、コンペンセーションが起きるときにH3K4me3の修飾量は増えているのだろうか?
筆者らは免疫クロマチン沈降法(ChIP)を行うことでこの可能性を検討した。
その結果、コンペンセーションが起きる際に、実際に発現が上昇する遺伝子でH3K4me3修飾量が増加していることを見出した。
次に、本当にH3K4me3がコンペンセーションに大事かを検証するため、
Wdr5, Setd1a, rbbp5といういくつかのCOMPASS複合体構成因子のノックダウンを行った。
その結果、どの因子をノックダウンしてもコンペンセーションが起きなくなることが分かった。
すなわち、 H3K4me3がコンペンセーションに大事である可能性が示唆された。
-----
とはいっても、RNAからH3K4me3の間がどうにも理解しづらいと思うかもしれない。
筆者らは興味深いことに、
本来細胞質で働くはずのRNA分解複合体(の一つUpf3b)が、
核においてWdr5と複合体を形成することを見出す。
そこで筆者らは(少し想像が入るが)
そのRNAをガイドとして配列が似た遺伝子の発現をONにするというモデルを提唱する。
-----
結果は以上で、RNA分解から遺伝子発現をH3K4me3が担っていそうなことが示された。
以上から
"ゲノムのナンセンス変異→ナンセンス変異RNA分解→H3K4me3修飾→コンペンセーション"という流れが見えてきた。
彼らはこれをナンセンス変異依存的転写補償(nonsense-induced transcriptional compensation, NITC)と名付け、
生命科学界の新しい概念として提唱している。
-----
この研究は、ノックダウンで表現型がでるがノックアウトではでない、という彼らの報告した知見を基にしている。
ノックアウトによるコンペンセーションはよくあることで、
生命科学研究者なら一度はコンペンセーションなんて何で起きるんだ、と思うことだろう。
筆者らはそのふとした疑問をきちんと生命科学研究に落とし込だ点で非常に素晴らしいと思う。
また、この研究の面白さは単にノックダウン動物におけるコンペンセーションに留まらない。
これまでの報告で、健常な人間も結構ゲノムにナンセンス変異を持っていること、
いくつかの疾患ではミスセンス変異よりもナンセンス変異の方が症状がマイルドなこと、が知られてきた。
今回の結果は、ナンセンス変異はコンペンセーションを誘導することで、
その遺伝子の機能を補完できるようにしていることを示唆している。
すわなち、ナンセンス変異依存的転写補償は、
ゲノムに入ってしまうナンセンス変異で大きなダメージを受けないようなバックアップシステムとして生体に備わっていると想像される。
生き物はこのような精緻な仕組みを長い進化の過程で獲得してきたのだろう。
生物の進化は伊達に何億年もかかっているわけではない。
---
よろしければ他の記事もどうぞ。
-----
参考
- Genetic compensation triggered by mutant mRNA degradation, Nature, 2019
Mohamed A. El-Brolosy, Zacharias Kontarakis, ... , Antonio J. Giraldez & Didier Y. R. Stainier
- PTC-bearing mRNA elicits a genetic compensation response via Upf3a and COMPASS components, Nature, 2019
Zhipeng Ma, Peipei Zhu, ... , Jinrong Peng & Jun Chen