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「現在地」と「目的地」の情報は脳内でどのように処理されているか(筆頭著者による論文紹介)

筆頭著者による論文紹介第2弾、東大薬の青木さんにご寄稿いただきました!

メディア出演などでもおなじみの池谷裕二研究室に所属されています。

とても丁寧にご解説頂きましたので是非最後までご覧ください!

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初めまして。東大薬の青木と申します。私は現在、海馬に存在する場所細胞と呼ばれる神経細胞について研究を行っています。

このサイトでこれまで紹介されている分野からは少し離れる話題になってしまいますので、簡単に研究の背景を含めつつ、論文紹介をさせていただこうと思います。このような機会は初めてですので至らない点も多いかと思いますが、よろしくお願いいたします。

 

2014年のノーベル生理学・医学賞は海馬の場所細胞(place cell)を発見したJohn O'Keefと、嗅内皮質の格子細胞(grid cell)を発見したMoserらに授与されました。

 

O’Keefeらが場所細胞について初めて報告したのは1971年のことです。彼らは、ラットの海馬に記録電極を埋め込み、自由行動下にて、海馬の興奮性錐体細胞の発火活動を記録する実験を行いました。その結果、海馬の興奮性神経細胞の一部が、ラットが特定の位置(place field)にいる時にのみ発火頻度を上昇させることが発見され、場所細胞(place cell)と命名されました(図1)(場所細胞という名前の細胞種があるわけではないことに注意してください。

ある環境内において、動物の場所に依存して発火を示す興奮性神経細胞が場所細胞と呼ばれます。異なる環境に動物を提示するとさっきまで場所細胞として活動していた細胞が場所依存的な発火を示さなくなることや、その逆に新たに場所細胞として活動し始める細胞も存在することが知られています(リマッピング(Leutgeb et al., 2005))。場所細胞というよりは“場所依存的な活動を示す興奮性神経細胞”の方が正しい気もしますが場所細胞と呼ばれています)。

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当時は海馬の破壊実験などによって、海馬が空間学習や空間認知に重要な役割を果たすことは示唆されていました。その中で、海馬場所細胞の発見は、脳内の空間表象を担う細胞単位を発見したという点で非常にインパクトのあるものでした。O’Keefeらは1978年には「認知地図としての海馬」という題名の本を出版し、場所細胞が、動物の空間認知地図(cognitive map)の要素であるとの理論を提唱しました。

現在でも、この認知地図の理論は支持され続けています(上で述べたリマッピングは、異なる環境に動物を提示することで、異なる認知地図がリクルートされているためだと考えられます。ある細胞集団によってある環境に関する地図が作られているイメージです。)。動物の行動と神経活動の相関が非常にきれいに見られるため、脳の情報処理機構を捉えるための研究が場所細胞を用いて行われています。

 

さて、このように脳内の空間表象を担う基盤として考えられてきた場所細胞ですが、実は純粋に動物の場所の情報のみに依存して発火を示すわけではないことが知られています。最も単純な研究例としては、一本道の上を行動するリニアトラック課題があります。ここではラットが道の両端に交互に置かれた報酬を得るために繰り返し行き来します。こうした条件で海馬の神経細胞の発火パターンを記録すると、当然、場所選択的な活動が記録されますが、同じ場所を通過しているときでも、走る方向によって各細胞の発火頻度が大きく異なることが報告されています(Aghajan et al., 2015)(図2)。では、このような場所選択的な活動はどのようにして生じているのでしょうか

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単純に考えられることとしては、海馬場所細胞が場所(現在地)の情報だけでなく、これから向かう場所がどこかという目的地の情報にも依存して発火している可能性があります。また、場所とラットの頭部方向の両方に依存して発火しているのかもしれません。(実際に海馬の上流である嗅内皮質には、動物の頭部方向に依存して発火を示す頭方向細胞(Head direction cell)が存在することが知られています。) しかし、一本道の上を歩くリニアトラック課題では、ラットの行動(頭部方向)と目的地が1対1で結び付けられてしまっているため、これら2つの条件を区別することが出来ません。

 

これを解決する単純な方法は、ある1つの目的地に対して複数の方向から動物を走らせてみることです。そうすればこの場所細胞が、目的地に依存して発火する(図3上)のか、それとも頭部方向に依存して発火する(図3下)のかを区別することが出来そうです。

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実際にそのような行動を動物に行わせるために、新たに行動試験系を設計しました。それが図4のようなものです。1メートル四方のフィールド内に報酬ポートが4箇所存在しており、それぞれのポートから報酬(餌)が提示されると、ポートの上部に設置した白色LED光が点灯します(光-報酬連合課題: Cued task)。(Arduinoなどを用いて報酬ポートなども全て自作しました)。

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2週間ほどこの行動試験を行わせると、ラットは光と報酬の関係を学習し、LEDの光を目的位置として、各報酬ポートへ一直線に走る目的地指向型の行動(Goal-directed behavior)を示すようなりました。この行動試験中に海馬の神経細胞の発火パターンを記録すると図5のようになっており、頭部方向ではなく、目的地に依存して発火する場所細胞が存在することを確認しました。これは海馬場所細胞が自分の現在地の情報に加えて、自分がどこに向かっているのかという目的地の情報にも依存して発火することを示しています。

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次に、この目的地指向型の発火を示した場所細胞が、目的地の存在しない場合にどのような発火を示すかについて調べました。報酬ポートやLEDを取り除いたフィールドにラットを再提示し、海馬の神経細胞の発火を記録してみました(擬似探索課題)。この条件では、フィールド上のランダムな場所で報酬を提示したため、ラットはもはや報酬ポートに対する目的地指向型の行動を示さず、フィールドをうろうろ探索するような行動を示すと想定していました。基本的には想定通りにラットは探索行動を示しました。しかし、時々、前回の課題の条件を思い出したかのように、かつて報酬ポートが置いてあった場所に向かって真っ直ぐ走るような行動を示しました(図6中央)。

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この行動は非常に面白いものと感じました。なぜなら、先ほどまでの目的地の存在するフィールドで記録した条件も含めると、ラットの行動を3種類に分類できるためです。つまり、①目的地が存在し、ラットも目的地に向かおうとしている、②目的地は存在しないが、ラットは目的地に向かおうとしている、③目的地が存在せず、ラットにも特に目的地はない の3つです(図7)。これまで行われてきた場所細胞の研究では①と③の比較を行っているものは多いですが、②のような条件で記録が行われたものはほとんどありません。動物の動機、モチベーションと神経活動の相関についての記述を目指し、②の行動について詳しく調べることにしました。

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②のような行動(pseudo-Goal-directed behavior)は、人の目で見ればある程度判定することはできますが、特定の条件(速度が~cm/sec以上で、頭の方向が報酬ポートが置いてあった方向を向いてて、~sec以上その方向に走り続けてて…みたいな)を用いて分類しようとするとかなり難しかったです。初投稿時には上記のような条件を設定して無理やり分類していましたが、Reviewerや先輩からの助言により、tsneと呼ばれる次元削減アルゴリズムを用いて分類を行いました。これにより、各パラメータをかなり適切に決定することが可能になり、納得のいく結果を得ることが出来ました。さて、②の行動時の神経活動を調べてみると、目的地が存在していないにも関わらず、①の行動時に見られていた、目的地指向型の発火と非常に類似した発火が生じていました(図8)。つまり、目的地指向型の発火は目的地の有無にかかわらず、ラットの動機、モチベーションによって生じることを示唆する結果を得ることが出来ました。

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さらに、探索行動時の場所細胞の発火率と、目的地指向型の発火率を比較してみると、目的地指向型の発火率の方が高いことがわかりました。つまり、探索行動時には、場所の情報を処理するような入力を受け取っていた場所細胞が、目的地に向かおうとしている際には、場所の情報を処理するような入力と目的地に関する情報の入力を受け取り、発火率を増加させていると考えられます。

では、この目的地に関する情報はどのようにして海馬に入力されているのでしょうか。ラットが走っている際、海馬ではシータ波と呼ばれる特徴的な脳波が生じることが知られています。このシータ波は内側中隔と呼ばれる脳領域からの入力により生じることが明らかにされています。そこで、内側中隔にムシモールという試薬を投与し、内側中隔の活動を抑制した状態で、行動試験を行わせ、海馬の神経活動を記録してみました。すると、目的指向型の発火が低下するという結果が得られました。この結果は、内側中隔の活動が、海馬へ目的地に関する情報が入力されるために重要であることを示唆しています。

 

以上の結果、

  1. 海馬で目的地指向型の発火が生じること(海馬場所細胞は、動物が目的地に向かう際に発火率を上昇させること)(論文Fig. 2, 3, 5)
  2. 動物の内的なモチベーションによって発火率の上昇が生じること(論文Fig. 4, 5)
  3. 内側中隔の抑制によって目的地に向かう際の発火率の上昇が抑制されること(論文Fig. 6)

をまとめて論文として投稿いたしました。

 

なるべく簡潔に説明しようと努力したつもりですが予想以上に長くなってしまいました。おそらくこの記事は分野外の方から読まれる機会が多いと思いますので、少しでも場所細胞に関する研究の理解の助けとなれれば幸いです。

近年、場所細胞の研究に強化学習の目線を取り入れることで、動物の行動戦略の理解を目指しているような研究も行われています(Stachenfeld et al., 2017)。今後の研究によって、動物の行動や学習、記憶の基盤となるメカニズムの解明が進むことを期待しています。

 

Reference

Aoki Y, Igata H, Ikegaya Y, Sasaki T. (2019). The Integration of Goal-Directed Signals onto Spatial Maps of Hippocampal Place Cells. Cell Rep. 5, 1516-1527.

Leutgeb S, Leutgeb JK, Barnes CA, Moser EI, McNaughton BL, Moser MB. (2005). Independent codes for spatial and episodic memory in hippocampal neuronal ensembles. Science. 309, 619-23.

Aghajan ZM, Acharya L, Moore JJ, Cushman JD, Vuong C, Mehta MR. (2015). Impaired spatial selectivity and intact phase precession in two-dimensional virtual reality. Nat. Neurosci. 1, 121-8.

Stachenfeld KL, Botvinick MM, Gershman SJ. (2017). The hippocampus as a predictive map. Nat. Neurosci. 11, 1643-1653.

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詳細につきましては、以下のリンクもご覧ください

jugem.hatenadiary.jp

筆頭著者による論文紹介第一弾はこちら

jugem.hatenadiary.jp