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記憶が遺伝する!?

生物学では、長い間、後天的に獲得した形質は次の世代には遺伝しないと考えられてきた。
 
ところが近年、この通説を覆すような事例が報告されつつある。
 
最も有名な例が、第二次世界大戦中のオランダ飢饉の例である。
第二次世界大戦中にナチスドイツの出入港禁止措置のため、オランダは飢饉に見舞われた。後に、このとき飢餓を経験した妊婦から生まれた子供の疫学調査が行われ、驚くべき結果が報告されている。
この結果では、飢餓の中で生まれた子供は生まれた時には低体重であったにもかかわらず、成人後は肥満となる率が高く、また糖尿病などの発症率も高いことが明らかになった。さらにこのときこの特性は孫の代にまで影響することもわかっている(参考)。
 
すなわち、母親の栄養状態は子供の健康状態に影響しこの特性は遺伝する、ということを示唆する。これらの報告から現在では「獲得形質は遺伝しない」という従来のドグマは覆されつつある。
 
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実際この発見の後も、特にモデル生物を使って、獲得形質の遺伝が起きる状況や、そのメカニズムについて研究が進められてきた。
 
例えば、線虫においては親世代の適度なストレスは子孫の生存力を高めること、またこの継承はエピジェネティクスを介していることなどが報告されている(Kishimoto et al, Nat. Comm., 2017)。
このほかにも線虫においてウイルス感染記憶が遺伝されるという報告もなされている(Rechavi et al., Cell, 2011)。
 
しかしながら、記憶や学習などの神経活動までも遺伝されうるのか?という点はほとんど分かっていなかった。
 
今回は、外敵への忌避性をモデルとした記憶が次世代にも引き継がれることを明らかにし、その分子メカニズムに迫った論文を紹介する。
 
 
筆者らは記憶が遺伝するのかを調べるために、線虫の病原性細菌に対する忌避性をモデルにした系を立ち上げた。
 
このため、筆者らは線虫と病原性緑膿菌、病原性のない大腸菌を同じプレートに置いた。
 
線虫は細菌を食べ物にするため初めは病原性緑膿菌に向かっていくが、24時間ほどたつと線虫は学習して病原性緑膿菌には向かわなくなる。
 
では、この記憶は次世代にまで引き継がれるのだろうか?
 
この系において、病原性緑膿菌への忌避性を獲得した線虫の子供を解析すると驚く結果が得られた。すなわち、病原性緑膿菌への忌避性を獲得した線虫の子供は、それまで病原性緑膿菌に出会ったことすらないにもかかわらず、病原性緑膿菌に対する忌避性を持っていることが分かった。
 
この結果は、記憶や学習といった神経活動までも次世代に引き継がれうることを示唆する。(驚き!!)
 
筆者らはこのほかにも
- この忌避性は4世代にわたって遺伝すること
- 病原性緑膿菌だけでなく、他の細菌でも忌避性の遺伝がみられること
- オスの記憶でもメスの記憶でも子孫に遺伝されうること
などを検証している。どれも興味深い。
 
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では、外敵への忌避性が遺伝することは、個体にとって有利なのだろうか?
 
この疑問に迫るため、筆者らはプレートの一部に病原性緑膿菌の存在するスポットが存在するような系を立ち上げた。この系では、一定の線虫は病原性緑膿菌に触れてしまい、死んでしまう。このとき、なんと、親が病原性緑膿菌に対する忌避性を学習していた線虫は生存率が上昇することが分かった。
 
すなわち、病原性緑膿菌への忌避性の遺伝は子孫の生存に有利に働いていることが示唆された!
 
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では、この学習の遺伝はどのようなメカニズムによって実現されるのだろうか?
 
筆者らはASIニューロン(におけるTGFシグナル経路)と、piRNAの経路の寄与を明らかにしている。
 
ASIニューロンは感覚ニューロンの一つとして知られる。先行研究により、ASIニューロンは病原性緑膿菌に応答して遺伝子発現を変化させることが分かっていた。このため筆者らはこのニューロンが学習の遺伝に重要かもしれないと考え、ASIニューロンを細胞死させるような線虫を作成し、実験を行った。
 
すると驚くべきことに、ASIニューロンが無いような線虫では病原性緑膿菌に対する忌避性が遺伝しないことが分かった!(ASIニューロンがなくても第一世代では病原性緑膿菌に対する忌避性は獲得する)
 
これが面白いのは、病原性緑膿菌に対する忌避性の遺伝には、母親の代謝状態などの変化も重要かもしれないけれども、少なくともニューロンも必要であることとが分かった点である。すなわち神経の活動に依存した形質が遺伝していることを示唆する。
 
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また筆者らはpiRNAという小分子RNAが重要であることも検証している。
 
実際、
- 病原性緑膿菌の条件とコントロールでは、piRNAの発現量に差があること
- piRNA関連遺伝子の発現を変えると、病原性緑膿菌に対する忌避性の遺伝がみられなくなること
をみている。
 
一方(興味深いことに)、これまで獲得形質の遺伝に関わる可能性が示唆されていたエピジェネティクス因子(COMPASS複合体(H3K4メチル化酵素))の欠損では、そもそも第一世代の学習がうまくいかなくなるらしい。
 
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以上の結果から、外敵への忌避性をモデルとした記憶が次世代にも引き継がれる可能性があること、そしてそのメカニズムの一端が明らかになった。以下Graphical Abstract

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今回は線虫の系だが、これが哺乳類にまで保存されていたらすごい。保存されていないにしても、哺乳類において学習の記憶の遺伝を失うことの進化的なメリットが分かると面白い。
 
いずれにしてもこれまでの常識を覆すような面白い論文だった。
 
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参考
Piwi/PRG-1 Argonaute and TGF-β Mediate Transgenerational Learned Pathogenic Avoidance, Cell, 2019