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ヒトらしい脳ができる分子メカニズム

 

今回はヒトらしい脳ができる分子メカニズムに迫った論文を解説。筆頭/責任著者の難波さんからコメントを頂いていますので、ぜひ最後までご覧下さい!

 目次

 

管理人による論文解説

ヒトは進化の過程で体の大きさに比して大きな脳を獲得してきた。ヒトを特徴づける高次な思考や感情は、この大きな脳によって支えられていると考えられている。

 

では、ヒトはどのように大きな脳を獲得してきたのだろうか?

 

近年の研究により、進化の過程で大きな脳を獲得できた大きな原因の一つは、神経細胞を生みだす"神経幹細胞"の振る舞いにあることが分かってきつつある。

 

なぜなら、神経幹細胞がより増殖するとそれだけ神経細胞を生みだす"もと"が多くなるので、脳の肥大を引き起こすことができるためである。実際、ヒトはマウスに比べて神経幹細胞の数が多いことが知られている。

 

このため、このヒトらしい神経幹細胞の振る舞いを決める遺伝子を多くの研究者が探し求めていたものの、近年までその実体は不明であった。

 

2015年、ドイツのWieland Huttnerのグループが、ついにヒトの脳が大きくなった原因となる遺伝子の候補を同定する。

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この論文では、ヒトとマウスを用いて神経幹細胞に発現する遺伝子を網羅的に探索することで、ヒトの神経幹細胞で高く発現する遺伝子を同定することに成功する。

 

この中でも、ヒトが進化的にチンパンジーと別れた時に獲得した遺伝子"ARHGAP11B"に着目する。

 

ARHGAP11Bをマウスの脳に過剰発現させると神経幹細胞の増殖が亢進し、驚くべきことにマウスの脳にシワができることを示している。

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このように、ARHGAP11Bはヒトらしい脳を作るのに大事な遺伝子である。

 

しかしながら、ARHGAP11Bがどのようなメカニズムでヒトらしい脳の形成に貢献するのか?、という点は大きな疑問として残されていた。

 

そこで今回は、同じくWieland Huttnerのグループから報告された、ARHGAP11Bタンパク質の働くメカニズムに迫った論文を紹介する。

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ARHGAP11Bの働くメカニズムに迫るには、まずARHGAP11Bが細胞内のどこにいるのかを知ることが重要である。

 

そこで、筆者らはARHGAP11Bに特異的な抗体を作成し、ARHGAP11Bの局在を検証した。

 

すると進化的にARHGAP11Bの祖先となったARHGAP11Aは細胞核に存在するのと対照的に、ARHGAP11Bはミトコンドリアに局在することが分かった。(以下の図参照)

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ARHGAP11A, ARHGAP11Bを培養細胞に過剰発現し、細胞組織染色した図。MitoTrackerはミトコンドリアのマーカー。

また、このミトコンドリアへの局在には、ARHGAP11BのN末端に存在するミトコンドリア標的配列が重要であることも示している。

 

(ちなみに興味深いことにN末端にHAタグをつけたARHGAP11Bはタンパクの電荷が変わることでミトコンドリアには局在しなくなるらしい。タグ付けた時は注意ですね)

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ではARHGAP11Bが"ミトコンドリアに局在すること"が神経幹細胞の増殖を促進するのに重要なのだろうか?

 

この点を検証するため、筆者らは通常のARHGAP11Bと並べて、ミトコンドリアに局在できなくなるARHGAP11B(ミトコンドリア標的配列を削った変異体と、HAタグをつけた変異体)をマウス脳に過剰発現することで神経幹細胞の増殖が変化するか検討した。

 

ここでは結果をお示しするが、正常なARHGAP11Bはbasal(図で言うところの上側)での神経幹細胞の増殖を増加させるが、ミトコンドリアに局在できない変異体ではこの効果はみられない。

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マウス胎生13.5日目の脳に子宮内電気穿孔法によって(左から)コントロールプラスミド、正常ARHHGAP11B、変異ARHHGAP11B①、変異ARHHGAP11B②を導入したもの。GFP陽性細胞が遺伝子導入された細胞で、PH3陽性の細胞は細胞分裂している細胞を表す。

このことから、ARHGAP11Bは"ミトコンドリアに局在すること"で神経幹細胞の増殖を促進することが示唆された。

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では、ARHGAP11Bは、ミトコンドリアに局在しその下流でどのような変化をもたらすことで神経幹細胞の運命を制御しているのだろうか?

 

この点に迫るため、筆者らはARHGAP11Bに結合するタンパク質をプロテオミクスにより網羅的に探索した。

 

その結果、ANT1, ANT2, PiCというタンパク質がARHGAP11Bに結合することを明らかにする。筆者らはこの中でも、ANT2とARHGAP11Bとの結合に着目して解析を行っている。

 

まず、先ほどと同じような手法により、ARHGAP11BとANT2をマウス脳に過剰発現することで神経幹細胞の増殖が変化する検証した。

 

すると、ARHGAP11B過剰発現による神経幹細胞の増殖亢進はさらにANT2を過剰発現することでキャンセルされるので、 ARHGAP11BはANTと結合することでその機能を阻害していることが示唆された。

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マウス胎生13.5日目の脳に子宮内電気穿孔法によって(左から)コントロールプラスミド、正常ARHHGAP11B、ARHHGAP11B+ANT2、ANT2を導入したもの

 

では、ANT2はどのような遺伝子だろうか?

 

ANTはミトコンドリア内膜に存在することが知られていて、

ミトコンドリア膜間のADP/ATPの輸送

②Ca2+などの濃度決定に重要なミトコンドリア膜透過性遷移孔(mPTP)の制御という大きな二つの働きがあることが知られている。

(以下、ミトコンドリア膜透過性遷移孔をmPTPと表記)

 

筆者らはまずATP/ADP交換が変化しているか培養細胞の系で検討を行うが、ARHGAP11Bを過剰発現してもATP/ADPの状態には大きな変化はみられなかった。

 

そこで、mPTPの形成/開口状態がARHGAP11Bによって変化するかを検討するため、ARHGAP11Bを過剰発現しmPTPの状態を観察した。

 

その結果、ARHGAP11Bの過剰発現によりmPTPの開口が遅れることが明らかになった。

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コントロール(青)もしくはARHGAP11B発現(赤)プラスミドを導入し、mPTPが開口していない細胞の割合を、Calcimycinという低分子化合物でmPTPの開口誘導をかけて一定時間ごとに計測した。

というわけで、mPTPの開口がARHGAP11Bで制御されそうであることが分かった。では、mPTPの開口は神経幹細胞の運命に重要なのだろうか?

 

筆者らは、mPTPを阻害することが知られるCsAという低分子化合物を導入し、細胞運命を検証した。

 

すると以下の図のように、Basal(上側)での神経幹細胞の増殖が増加した。すなわち、mPTPの開口は神経幹細胞の増殖を制御している可能性が示唆された。

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では、さらにさらに、mPTPはどのようにして細胞運命を制御しているのだろうか?

 

少し割愛させて頂くが、結果的にmPTPの下流として有名なグルタミン分解が重要らしいというのを見出している。

 

実際、低分子化合物によってグルタミン酸分解をヒト脳の組織で阻害すると神経幹細胞の増殖が減少することが示されている。

 

グルタミン酸分解はグルタミンをグルタミン酸に変換する反応で、下流でTCAサイクルが回るので、グルタミン酸分解が亢進すると細胞増殖に必要なエネルギー源が豊富に得られることが想定されるらしい。

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以上の結果から、

①ARHGAP11Bはミトコンドリアに局在して働くこと

②ARHGAP11BはANT2と結合し、ミトコンドリア膜透過性遷移孔の開口を制御すること

③その下流で細胞内代謝状態、特にグルタミン酸分解を制御すること

が明らかになった。

 

モデル図は以下のような感じ(論文から引用)

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管理人コメント

2015年の論文が出た時からヒトらしい脳をつくのに重要な遺伝子としてARHGAP11Bは存じ上げていたのですが、どうやって働いているんだろうなぁ、というのは確かに不思議に思っていました。

 

今回ミトコンドリアでの代謝制御が大事ということが分かったのですが、近縁の遺伝子(ARHGAP11A)とは全く異なる場所、役割で働いているというので結構驚きました。近い遺伝子だから似たような仕組みで働いているんだろうというのは悪い思い込みですね。

 

また、細胞内代謝状態の変化が大事、というのも勉強になりました。神経幹細胞でミトコンドリアやリソソームが大事という報告も相次いでいますし、遺伝子発現制御に重きを置いてしまいがちな自分の見方を変えていかないといけないと思います。

 

この研究で、ARHGAP11Bがどのようにしてヒトらしい脳を作るのに貢献しているのかクリアになった気がします。もちろんARHGAP11Bだけでヒトと他の種の違いがすべて説明できるわけではないので、これからの研究でヒトがヒトらしい脳を獲得してきた過程がより詳細に分かっていけば面白いです!

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筆頭/責任著者の難波隆志さんからのコメント

この度は、私どもの論文を取り上げていただきありがとうございます。この論文の内容、重要性に関してはバイオステーションの管理人様がわかりやすくまとめてくださっているので、これ以上付け足すことはありません。私からはこの仕事を終えての感想を少し述べさせていただきたいと思います。この仕事に取り掛かったのが2014年の秋口だったと思いますが、それから2017年の夏まではARHGAP11Bの細胞内局在は未知のままでした。その原因はN末にHAタグをつけたARHGAP11Bを実験に用いていたからです。理由としてはC末が機能ドメインであることは別の実験でわかっていたので、C末にタグをつけるよりはN末にタグをつけた方がよいとの「思い込み」があります。このような「思い込み、先入観」を一度持つと、それにとらわれず実験を組み立てるのが困難になってしまうこともあるかと思います。若い読者の皆様におかれましては、自分が思い込み・先入観にとらわれていないかを今一度客観的に判断することによって、研究テーマの迷宮入りを避けていただけることが出来たらと思います。

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今回の論文

Human-Specific ARHGAP11B Acts in Mitochondria to Expand Neocortical Progenitors by Glutaminolysis, Neuron, 2020