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2019年ノーベル医学生理学賞;細胞の酸素濃度検知システム

2019年のノーベル医学生理学賞「細胞がどのように酸素濃度を検知するか」という謎に取り組んだ一連の研究で、グレッグ・セメンザ、ピーター・ラトクリフ、ウィリアム・ケーリンの3氏に授与されます。
 
Biostationでは、受賞対象となった研究についてまとめてみようと思います。内容は概ねノーベル財団公式発表している資料に基づいております。
 
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いうまでもなく、生き物にとって酸素は極めて重要である。酸素は1777年には命名され、1858年にはパスツールらによって酸素が生物の代謝状態に変化を与えることが報告されている。
 
ノーベル賞だけを見ても、1931年には酸素と代謝機構の研究でワールブルグが、1938年には血液中の酸素の含量が体でどのように認識され、大脳に情報が届けられるのかという研究でコルネイユ・ハイマンスが受賞するなど、酸素の生体での重要性は明らかである。
 
しかしながら、酸素の発見から200年以上、細胞がどのように酸素濃度を検知するか、という分子メカニズムは明らかではなかった
 
今回のノーベル賞は、この問題に一定の答えを与える研究をリードしてきた3氏に送られることとなった。
 
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今回のノーベル賞受賞研究のルーツは、1880年代のエリスロポエチンホルモンの研究にある。
 
金字塔の一つが、バーツらによる1882年の報告で、この中で彼らは人間は高所に行くと酸素濃度が減少するため、対応策として酸素を多く運ぶために赤血球を増やす、ことを見出した。
 
では、このように低酸素状態で赤血球を増やすメカニズムは何だろうか?
 
時は飛んで1986/7年に、低酸素により肝臓でエリスロポエチンホルモンの発現が上昇すること、そしてエリスロポエチンこそが赤血球を増やす因子であることが報告された。
 
このことから、エリスロポエチンの発現を制御する因子こそが細胞の酸素濃度を感知する実行因子であることが予想される。
 
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そこで、今回ノーベル賞を受賞するセメンザ氏は、エリスロポエチンの発現を制御する因子の同定を試みた。
 
このため、エリスロポエチン遺伝子の上流配列を含む配列を探索し、エリスロポエチンの発現を制御するエンハンサーを同定する。
 
さらに、このエリスロポエチンのエンハンサーに結合する核内因子を複数同定した。
 
この中で、低酸素によって量が多くなる遺伝子をHIF(hypoxia-inducible factor)と命名した(Semenza and Wang, 1992)。
 
そしてこのHIFこそが、細胞内で酸素濃度を感知する分子メカニズムの中心となる遺伝子である。
 
 
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次の大きな疑問は、HIF1aの活性はどのように制御されているのだろうか?ということである。
 
もっとも考えやすいのは、HIF1aの発現が低酸素によって誘導される、というストーリーである。
 
しかし、HIFの同定以降の怒涛の研究により、HIF1aの遺伝子発現自体は酸素濃度でそれほど変わらないことが分かってきた。
 
さらなる研究により、HIF1aの量は遺伝子発現ではなく、タンパク質の分解量によって制御されていることが分かり始めた。
 
そこでキークエスチョンは「何がHIF1aの分解を起こす実行因子なのか?」という問題である。
 
 
ここで転機となったのが、さらなる受賞者、ケーリン氏とラトクリフ氏の研究である。
 
ケーリン氏はがんの研究をしていて、がん化を抑える因子としてVHL遺伝子というのを同定した。
 
さらに彼らは興味深いことに、VHLが変異した細胞ではHIFの標的遺伝子の発現が上昇していることを見出す。すなわち、VHLとHIFが何らかの関係を持つことが示唆された。
 
ではVHLは何をしているのだろうか?
 
VHLの相互作用因子を同定する実験から、VHLはユビキチン依存的なタンパク質分解を制御する複合体を結合していることが明らかになった。
 
このことから、VHLこそがHIF1aを分解する因子である可能性がある。
 
ラトクリフ氏は実際この仮説に取り組み、VHLがHIF1aを分解するユビキチン化酵素であることを発見する。1999年、まさに金字塔である。
 
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さらにラトクリフ氏はこの論文の中でVHLによるHIF1aの分解には、酸素が必要であることを示している。
 
では、最後に残る大疑問は「どのように酸素濃度依存的にVHLによるHIFの分解が制御されるのか?」という問題である。
 
当時、コラーゲンにおいて酸素濃度依存的にプロリン残基がヒドロキシ化されることが知られていた。
 
そこで、酸素濃度依存的なヒドロキシ化の状態を調べると、HIF1aのODDドメインの2つのプロリン残基が酸素依存的にヒドロキシ化を受けることが分かった。
 
さらに、ヒドロキシ化を受けたHIF1aはVHL複合体に結合しやすくなり、分解されやすいことを明らかにする。
 
すなわち「酸素濃度依存的にHIF1aの修飾状態が変化すること」こそが細胞が酸素濃度を検知するメカニズムであることが示唆された。
 
 
なお、この分解を免れたHIF1aも通常酸素濃度では核内でヒドロキシ化を受け、転写活性化を受けないことが分かっている。
 
一連の研究をまとめると以下のようになる。

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これらの低酸素応答の研究は臨床的にも重要である。
 
例えば、HIF1aの活性を上げることで赤血球を増やして貧血を治そう、という薬は続々と臨床試験が行われている。また、VHLはそもそもがん抑制遺伝子としてとられているので抗がん剤の開発にも期待がかかる。
 
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管理人感想
 
低酸素応答がノーベル賞というのは全く予想していませんでした。が、非常に重要な発見であり、むしろこれまで取っていなかったのが意外です。
 
一連の研究は偉大ですが、まだまだ未知のことも多く残っているし、臨床までに詰めないといけない現象も沢山ありそうです。
 
これからの研究も楽しみですが、こういった研究をきちんとつなげていくのも今の若い人たちに課せられた重要なことかと思いました。みなさん頑張りましょう。
 
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受賞に関する代表的な論文(論文リストはノーベル財団のPDFより): 
 
低酸素で発現が上がることが知られていたEPO遺伝子のエンハンサーを同定、さらにこのエンハンサーに結合する核内因子を探索
Semenza, G.L, Nejfelt, M.K., Chi, S.M. & Antonarakis, S.E. (1991). Hypoxia-inducible nuclear factors bind to an enhancer element located 3’ to the human erythropoietin gene. Proc Natl Acad Sci USA, 88, 5680-5684 
 
HIFが核内で複合体を組む相手としてARNTを発見
Wang, G.L., Jiang, B.-H., Rue, E.A. & Semenza, G.L. (1995). Hypoxia-inducible factor 1 is a basic-helix-loop-helix-PAS heterodimer regulated by cellular O2 tension. Proc Natl Acad Sci USA, 92, 5510-5514 
 
通常の濃度でHIF1aを分解するユビキチンリガーゼとしてVHLを同定
Maxwell, P.H., Wiesener, M.S., Chang, G.-W., Clifford, S.C., Vaux, E.C., Cockman, M.E., Wykoff, C.C., Pugh, C.W., Maher, E.R. & Ratcliffe, P.J. (1999). The tumour suppressor protein VHL targets hypoxia-inducible factors for oxygen-dependent proteolysis. Nature, 399, 271-275 
 
酸素濃度に応じたHIF1a修飾が細胞内酸素濃度検知のメカニズムであることを発見(2報同時掲載)
Mircea, I., Kondo, K., Yang, H., Kim, W., Valiando, J., Ohh, M., Salic, A., Asara, J.M., Lane, W.S. & Kaelin Jr., W.G. (2001) HIFa targeted for VHL-mediated destruction by proline hydroxylation: Implications for O2 sensing. Science, 292, 464-468 
Jakkola, P., Mole, D.R., Tian, Y.-M., Wilson, M.I., Gielbert, J., Gaskell, S.J., von Kriegsheim, A., Heberstreit, H.F., Mukherji, M., Schofield, C.J., Maxwell, P.H., Pugh, C.W. & Ratcliffe, P.J. (2001). Targeting of HIF-a to the von Hippel-Lindau ubiquitylation complex by O2- regulated prolyl hydroxylation. Science, 292, 468-472